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宮澤智士 善光寺の世界遺産登録に向けて 第5回
善光寺とその宿坊群の普遍的価値を「世界語」で発信しよう
善光寺の世界遺産登録をすすめる会 専門委員 宮澤智士

1937年長野県川中島生まれ。修復建築家 ・ 建築史家 一級建築士
東京大学大学院数物系研究科博士課程中退。工学博士
大阪市大工学部助手・奈良国立文化財研究所研究員室長・文化庁建造物課長・
長岡造形大学教授を経て、現在 長岡造形大学名誉教授。建築修復学会代表
マルコポーロ賞、日本建築学会賞、環境・省エネルギー機構理事長賞受賞

最近の世界遺産登録に関して、昨年から本年(2006-07)にかけて、従来といくつかの点で大きく変わってきた。ここでは善光寺に直接関係する次の2点をとりあげる。
  @文化庁が世界文化遺産の暫定リスト登録候補を地方自治体から公募したことである。これにより全国の地方自治体から24の登録候補の応募があった。善光寺は、長野県知事・長野市長の連名で「善光寺−古代から続く浄土信仰の霊地」と題して応募された。24の内、とりあえず4物件が暫定リストに登録された。今回、善光寺は残念ながら暫定リスト登録にならなかった。しかし、地方自治体から応募のあった24の内容を検討すると、善光寺は24のなかで上位に位置していると思われる。
  A伝統的建造物群保存予定地区候補として、長野市教育委員会が2005年から実施している、善光寺とその宿坊群の本格的な調査が進み効果をあげていることである。この調査は信州大学の土本俊和教授が担当している。土本俊和教授の精力的な指揮のもとに、大学院生等の作業によって、質量ともに膨大な資料が作成、収集されている。この調査報告書の刊行は近いと聞く。
  次に日本の世界文化遺産登録に関係した話題として、島根県の石見銀山がある。
  石見銀山は日本では14番目の世界文化遺産として登録されたのだが、登録にいたるまでの間に紆余曲折があった。国際記念物遺跡会議(ICOMOS)は、石見銀山を普遍的価値の説明が明確でない等の理由で世界遺産登録延期を勧告した。しかし、2007年6月に、ニュージーランドで開かれた国際連合教育科学文化機構( U N E S C O )の世界遺産会議では、ICOMOSの勧告とは逆に、石見銀山は延期されることなく世界文化遺産として登録されたのだ。この難関を突破した登録の背後には日本のUNESCOに対するこれまでの貢献が有効に働いたのではないかと思われる。

「世界語」で発信する。
  石見銀山の逆転登録ということを初めて経験した日本にあって、世界遺産関係者の間には多少の動揺があるかもしれない。しかし、そんなことに善光寺の関係者はヘコタレてはいけない。善光寺の世界文化遺産としての普遍的価値については、善光寺の世界遺産登録をすすめる会のニュースレターに、建築家宮本忠長氏・行政家池田宗兵衛氏・都市計画家若林時郎氏・地理学者市川健夫氏の先輩方々がそれぞれ専門の立場からすでに記されている。今ここに私がつけ加えることはほとんど見当たらない。
  善光寺は普遍的価値を持っている。その価値を世界の人々に訴えよう。それには世界の人々に通じる言葉、すなわち「世界語」で発信する必要がある。日本人だけにしか通じない言葉や内容ではダメなのである。言い換えれば「世界語」で話しかける物件こそが、世界の人々に通じる普遍的価値があるのだ。「世界語」は子どもにもわかる絵本のような言葉である。それでは世界遺産暫定リスト記載候補として、善光寺を「世界語」でどう発信しどう訴えるか、これには担当事務局サイドの大いなる勉強と工夫、それに多少のテクニックが必要である。ここで私の考える多少のテクニックを披露しよう。

世界遺産の核心となる範囲
  「世界語」で明確に語りかける物件が「世界遺産の核心」になり得る。明確に語りかけない部分は贅肉部分とみなそう。まずは、試行錯誤をしながら贅肉とみられる部分を思い切って削りとり、核心部分を明確にしていこう。そうすることによって、核心に相応しい範囲が現れてくる。核心部分は美しくなければならない。贅肉部分は、将来的には核心となる可能性がないではないが、現在・近い将来・遠い将来にどうするかどうなるかを考えながら、取り敢えずはバックグラウンドとなる要素として進めよう。世界遺産のチャンスだからといって、ただ様々の物件を闇雲に入れれば良いのではない。「世界語」で語れない部分はむしろマイナス要素にすらなってしまう。
  現在の善光寺は、長野市という都市の核心に位置する大寺院である。長野市中心街は、善光寺伽藍、本堂・山門・仁王門の中心軸に一致して都市計画された。伽藍軸は南に延びて門前からは「中央通り」になり、そこは門前町が形成され、JR長野駅の西に達している。また、善光寺に四方八方から通じる街道は「善光寺街道」と称されている。これら善光寺街道を世界遺産の範囲にしたらどうかという話があるようだ。しかし、遠い将来のことを別として、今すぐ範囲にできる可能性は少ない。範囲にするからには、文化財の面からそれに必要な手続きが必要である。善光寺周辺の旧善光寺街道は、現在すでに市街地化しており、かつての善光寺街道の面影を伝え保存しているところはほとんどない。この点、山中の熊野古道の場合とは大きく異なっている。善光寺背後の裏山の往生寺、五輪平、雲上殿などは善光寺と深い関わりがあるが、善光寺街道と同様なことが言える。
  善光寺は女人往生の霊験あらたな寺院であり、中世以降は、都市の大寺院として、老若男女を問わず昼夜を問わず参詣者に開放されている。それが伽藍にも本堂の建築形態にも眼にみえる形であらわれている。この点は善光寺とその本堂が有している最も特徴的な点であり、「世界語」で語り書くのに有利な点である。
  現在の善光寺伽藍は、回廊や築地塀などによって囲まれていない。その本堂は撞木造といわれる大規模な木造仏堂であって、正面に三角形の妻をみる。平面形は縦長で、前方から外陣・内陣・内内陣に分かれる。このうち内陣までは庶民である参拝者が出入りできる。本堂で庶民が占用できる面積とその比率は、日本の仏堂中で最も大きい。奈良東大寺金堂(大仏殿)はもともと全体が仏像の占用空間であって、人間のための空間ではない。
  このように昼夜を問わず庶民に開放され、奥行が長く人間が占有する大きな面積を有する善光寺本堂は、むしろキリスト教会堂と類似する性格を持っている。
  次に、善光寺は、大勧進と大本願の二大本坊とこれに属する宿坊(院坊)で組織されている。伽藍に接して宿坊群(現在39宿坊がある)が、善光寺境内の一画を占めている。それぞれの宿坊は、江戸時代末期から明治大正昭和にいたる間に建てられた本格的な和風建築であり、そこは僧侶の生活の場であるとともに、参詣者の宿泊施設である。どの宿坊も小御堂、表門、庭園を備えている。
  今ここで宿坊群の詳細や仲見世等について説明する余裕がなくなったが、世界遺産の核心となる範囲は、基本的に2006年、文化庁への提案の範囲として、この周辺に強力なバッハゾーンを設定するのがより良い現実的な案と考える。

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